今回は、80年代90年代のAV女優20人をまとめました。
昭和のセクシー女優達が懐かしい。。。
飯島愛
1972年生まれの飯島愛は、中学時代から夜な夜な仲間とディスコに入り浸っていました。高校は入学するも全く行かずに中退。後に六本木でホステスをやっている時に、スカウトされます。
1992年、飯島愛のAV女優デビュー後の人気の凄さは、AV女優の歴史を変えたと言えます。飯島愛が当時の彼女と同世代、少し年下の女の子達に、とてもファンが多かった事という珍しい存在でした。
飯島愛の雰囲気とセンス、髪型・化粧法が、当時の若い女の子達の感覚に、マッチしていたのでしょう。AV女優をやりながら飯島愛は、地上波の深夜テレビにレギュラー出演し、歌手デビューもしています。
1994年、飯島愛はAV引退後に、すぐにタレント活動も軌道になったのは、女性人気あっての事でした。地上波テレビ、それも深夜以外の時間帯の番組に、元AV女優があれだけ頻繁に出演していたのは異例。
飯島愛は自伝小説「プラトニック・セックス」を発表、テレビドラマ・映画になるほど売れました。そんな人気絶頂の飯島愛でしたが、2007年3月をもって引退発表、後に腎臓病であることが報道。
2008年12月24日、飯島愛が自室で亡くなっているのを親戚の女性が発見、死因は肺炎でした。
オススメ作品は『女尻 飯島愛』です。
桜樹ルイ
1969年生まれの桜樹ルイは、高校卒業後の1987年、相沢美紀の名前でモモコクラブ桃組に所属。一ノ瀬雅子に改名後、グラビアを中心に活動、女優としてNHK大河ドラマにも端役で出演しました。
1989年に早くもAV女優デビューし、2本の作品を残しましたが、殆ど反響はありませんでした。桜樹ルイ改名後の1990年に歌手デビュー、その3ヶ月後、元アイドルの桜樹ルイという触れ込みが成功。
桜樹ルイのAV作品は大人気になり、同年下半期に7本のヒット作を発表、人気AV女優になりました。1991年、桜樹ルイの人気は頂点を極め、彼女は飯島愛登場以前のAV界の、アイドル・クィーンでした。
桜樹ルイは全国でのサイン会を決行、学祭・イベントに登場、その模様は地上波で放送されるほど。同年のAV雑誌、一般雑誌で数々の賞を受賞した桜樹ルイは、一般映画の出演を機にAV女優引退を宣言。
1992年にはNHKのテレビドラマに出演、ロックバンドを結成し音楽活動も本格的にやり出しました。そんな桜樹ルイでしたが、ストリッパー転身後はAVにも復帰、その後全ての活動を停止し引退しました。
オススメ作品は『BEST4時間 桜樹ルイ』です。
小林ひとみ
1963年生まれの小林ひとみは、1986年に写真集とイメージビデオで芸能界デビューしました。デビュー時の名前は松本かおりでしたが、同年、小林ひとみに改名後、AV女優デビュー。
小林ひとみは、時代を考えるとAV女優というサブカルチャーを、確立させた女性だったと言えます。既にビデオが発売され人気者になっていた女優はおりましたが、AV女優とは呼ばれていませんでした。
清楚な美人の小林ひとみの作品は爆発的に売れ、彼女はポルノ・ピンクではなくAV女優と呼ばれました。人気に火がついた小林ひとみは、1987年にはテレビドラマや、「必殺」シリーズの映画版にも出演。
そんな小林ひとみでしたが、人気絶頂の1989年に所属事務所社長と結婚、その後は休養に入りました。1991年、小林ひとみはストリッパーとして復帰すると、1993年にはAVにも復帰しました。
1998年になると本格的に熟女AV女優として活躍しますが、2003年に小林ひとみはAVを引退しました。引退後の小林ひとみは、六本木のクラブの運営、銀座の雇われママを経由し2009年に自身の店を開店。
2020年9月現在、小林ひとみは銀座の高級クラブ「Hitomi.K」で、ママをやっています。
オススメ作品は『復刻 もろなめ夫人 小林ひとみ』です。
瞳リョウ
1975年生まれの瞳リョウは、高校卒業後、エステティシャン・ネイリストを生業にしていました。後に水商売の世界に転身、瞳リョウは歌舞伎町のキャバクラ、六本木のクラブで働きだします。
AV出演スカウトは、既にその頃からあったようですが、裸になる事に抵抗があり断わっていたそう。そんな瞳リョウがAV女優をやる決断をしたのは、家庭の事情、金銭問題だったと後に述べています。
1996年AVデビュー後は、その可憐な容姿が話題沸騰、瞳リョウはたちまち人気AV女優になりました。瞳リョウのその人気ぶりはAVのみならず、地上波テレビからも呼ばれ、何本も出演していたほどでした。
2001年になっても、まだまだ人気は継続していた瞳リョウでしたが、一般男性との結婚前提で引退。その男性とは結婚に至る前に破局し、瞳リョウはAV引退直後ははハンバガー屋で働いていたそうです。
その後は12年間、瞳リョウは再び夜の世界に戻り、銀座・六本木でホステスで生計をたてていました。2013年、熟女AV女優として復帰した瞳リョウの人気は衰えておらず、2020年現在も活躍しています。
オススメ作品は『彼女に内緒で彼女の母ともヤってます… 瞳リョウ』です。
松坂季実子
1969年生まれの松坂季実子は、大妻女子短大在学中にスカウトされ、1989年AV女優デビューしました。Hカップの巨乳の松坂季実子は、デビューしてすぐ話題沸騰、人気AV女優になっています。
松坂季実子は就職前に1本だけのつもりで出演したそうですが、あまりの人気に周辺に完全に身バレ。そのまま就職せずAV女優を続けた松坂季実子は、AVのみならず写真集、地上波テレビ出演と大ブレイク。
そんな松坂季実子でしたが、1990年にはテレビドラマに本格進出後、同年夏にはAV女優を引退しました。日本中をその巨乳で騒がせた松坂季実子でしたが、AV女優生活は僅かに1年半と短かいものでした。
バラエティタレント転向後、ラサール石井とのデュエットシングル「ソレソレどうするの?」もリリース。タレントとしても松坂季実子は順調でしたが、1991年春に突然、芸能界から謎の引退発表をしました。
AV復帰する事もなく、ホステスをやっているという噂も聞かない松坂季実子の近況も謎のままです。
オススメ作品は『The Best of No.1 Special Selection 2』です。
憂木瞳(中山アンナ)
1973年生まれの憂木瞳は、美容専門学校在学中に新宿でスカウトされ、1992年にAV女優デビュー。色白でベビーフェイス、そしてナイスボディにハードな絡みで、憂木瞳はいきなり人気になりました。
憂木瞳は1993年になると、地上波テレビの人気深夜番組「ギルガメッシュないと」のレギュラー決定。自分のコーナーでの憂木瞳の裸エプロン姿は、飯島愛のTバックと同じように番組の看板になりました。
番組での関連イベントで、憂木瞳はストリップに挑戦した時、定員300人のところ1,000人の集客。飯島愛と並ぶほどの人気の憂木瞳でしたが、タレント・芸能人に移行する気は全くなかったそうです。
憂木瞳は、AVで稼いだら美容院かエステを開業したかったそうで、次第に芸能活動が嫌になったそう。1994年には番組をすっぽかす失踪騒ぎを起こし、憂木瞳は事務所を解雇、引退勧告されてしまいました。
憂木瞳は1995年には出産・結婚し、実際に日焼けサロンを経営したようですが失敗、そして離婚。ストリップを経由し、憂木ひとみに改名しAV復帰、2012年には石黒樹里と再び改名しています。
オススメ作品は『大人のAV vol.6 まとめて10作品 【ほぼ本編まるごと収録】』です。
林由美香(松中由美香)
1970年、東京都生まれの林由美香は、1989年にAVデビューしました。正統派の美少女なのにハードプレイ、話題沸騰だった林由美香は1990年、親バレし一度引退します。
1992年に復帰してから、AVだけではなく既に斜陽だったピンク映画にも林由美香は数多く出演。人気の林由美香は1994年、現役AV女優20名含む80名からなる「AV新党」で参院選出馬を目ざします。
地上波テレビの深夜の人気番組「タモリ倶楽部」で、擬似政権放送を行いましたが、結果は出馬断念。「AV新党」が、本気だったのか?冗談だったのか?或いは何らかの宣伝だったのか?真意は不明です。
人気の林由美香は、1999年にNHKテレビドラマに準主役で出演、ピンク映画の女優賞も受賞。そんな人気の林由美香でしたが、2005年に自宅で自然死(警察発表)している所を発見されました。
林由美香は、自身の体調や複雑な人間関係を隠し続けたため、訃報に驚いた関係者が多かったそうです。
オススメ作品は『口全ワイセツ 林由美香』です。
イヴ(神代弓子)
1963年生まれのイヴは、学生時代から芸能界志望が強く、セミヌードの写真のモデルをやっていました。イブは高校卒業後も、次元の静岡のデパートで働きながら、休日は東京のディスコに繰り出す生活。
静岡と東京の往復は交通費もバカにならないので、イブは喫茶店「マイアミ」でバイトをはじめました。そしてイブは「マイアミ」を辞め、更に時給の高いノーパン喫茶「USA」で働くようになりました。
イブはたちまち人気になり、200名以上の東京の学生達が後援会を発足、週刊誌でも取り上げられました。地上波の深夜テレビが、静岡から歌舞伎町までバイトに通う彼女を特集したこともあり、更に人気が沸騰。
これだけマスメディアに登場した結果、ノーパン喫茶で働いている事が親と職場にバレてしまいました。人気者になった代償で、イブは親に勘当され、デパートも解雇され、地元の婚約者とも別れ上京します。
芸能界デビュー前から人気の風俗嬢だったイブは、1984年、にっかつロマンポルノで堂々デビュー。デビュー後もイブの人気は爆発し、AVに限らず地上波のテレビドラマや映画にも出演するほどでした。
そんなイブは結婚引退・離婚復帰後はストリッパーとしても活躍、52歳になった2015年に引退しました。
オススメ作品は『未亡人・フェロモンの罠 イヴ』です。
菊地えり・菊池エリ
1965年生まれの菊池えりは、ホテトル等の風俗嬢がAV女優になった先駆けの女性でした。菊池えりは1984年のデビュー作が裏ビデオで、その作品が話題になって1985年にAV女優デビュー。
デビュー作にして、菊池えりのスパンキング、アナル、スカトロなどのSMハードプレイは異色でした。時代はまだAV女優という認知度は低く、ロマンポルノ・ピンク映画が終わりになりかけていた時期。
菊池えりもAV女優デビュー後、にっかつロマンポルノにもピンク映画にも、両方出演しています。更に菊池えりはAV女優デビューの翌1986年には、今度はストリッパーとしてもデビューしています。
破天荒な菊池えりは、ストリップ仲間の黒人ダンサーと結婚、1991年にはグアムに移住しました。菊池えりは離婚後もグアムから、ストリップやグラビアの仕事が入ると日本に戻って仕事をこなす生活。
1997年に帰国した菊池えりは、六本木にオープンしたショーパブに在籍しつつ、AV女優も再開します。2020年9月現在、菊池えりは故郷の愛知県名古屋市に戻り、ファッションヘルス嬢として働いています。
オススメ作品は『あなたとしたい 菊池エリ』です。
早見瞳(吉沢有希子)
1964年生まれの早見瞳は、1984年に吉沢有希子名義で、AV女優デビューしています。「ミス本番 有希子20歳 めぐり逢い」、「ミス本番 有希子・・ふたたび」が空前の大ヒット。
まだ当時は、アダルトビデオという業種が確立されていない、AV女優という名称もない時代。ロマンポルノ・ピンク映画がまだ主流だった最後の時代に、このビデオヒットは時代を変えています。
早見瞳に改名後は、そんな黎明期のAV女優の世界でイヴと並ぶアイドル的な人気者になりました。その後は当たり前になるAV女優のサイン会を、最初にやったアイドルAV女優は早見瞳です。
AV以外の写真集やレコーディング等の、AV女優のアイドル的商法は、早見瞳で確立されています。そんな人気の早見瞳は、1988年に約40本の作品を残しAV女優を引退し、ストリップデビュー。
ストリップデビューは菊池えりが先駆けていましたが、AV女優からストリッパー転身も当時は稀でした。1990年、早見瞳はAV女優に復帰しますが1996年に完全引退、その後は全く表舞台に現れていません。
オススメ作品は『永遠の美女 早見瞳 恋文 M氏に捧ぐ…』です。
樹まり子
1970年生まれの樹まり子は短大時代の1989年、青木さえ子名義でAV女優デビューしています。当時は沈みゆくロマンポルノ・ピンク映画と、登りゆくAV黎明期が混在していた時期でした。
樹まり子に改名後、彼女の人気はブレイクし、AVやピンク映画に引っ張りだこになりました。「巨乳」「淫乱」が樹まり子を表すキーワードになり、人気沸騰中の1991年、突然活動休止。
活動休止中の樹まり子は、雑誌でコラムを執筆したり、インタビューの聞き手をしていました。樹まり子はこの時期、AV男優の加藤鷹と恋仲だったのは有名ですが、それが休止理由かもしれません。
AV休止から2年後の1992年、樹マリ子に改名しAV女優活動を再開、再び絶大な人気を集めました。復活の樹まり子のギャラはAV史に残る高額と、今も伝説になっておりますが、AV6本出演で3000万円。
当時の樹まり子のAV復活を熱望するファンが、如何に多かったか、このエピソードでもわかります。樹まり子は正式な引退発表がないまま、この後AV業界から消えてしまい、ファンを悲しませました。
オススメ作品は『復刻 レ●プ狂い 5 感染 樹まり子』です。
黒木香
1965年生まれの黒木香は横浜国立大在学中、イタリア留学費用を稼ぐ為、自らAVの世界に入っています。1986年、SM系でAVデビューすると異例の大ヒット、黒木香は名前と顔を知られるようになりました。
当時、世間は女子大生ブームでしたが、現役の国立大生が大学名を出しAV女優になるのは異例中の異例。黒木香は、良家の令嬢のような丁寧語で卑猥な言葉を連呼、剃毛していないわき毛を大胆露出しました。
マスメディアに注目された黒木香は、地上波テレビ、それもゴールデンタイムの番組にも多数出演。黒木香は人気テレビドラマ「必殺」シリーズのスペシャル版にも出演するほど、当時は大人気でした。
討論番組で有名なテレビ朝日「朝まで生テレビ」にも、黒木香はパネリストとして出演しています。その結果、有名になり忙しくなった黒木瞳は、通学が困難になって横浜国立大を除籍になりました。
黒木香は、恋愛関係のあったAV監督の村西とおる経営の事務所の取締役、焼肉屋のママもやっていました村西とおると別れた後、黒木香は引退しますが、その後も転落事故や雑誌等への訴訟で名前が出ています。
オススメ作品は『村西とおる傑作選DVD2本セット」「SMぽいの好き 黒木香』です。
村上麗奈
1967年、東京生まれの村上麗奈は、港区赤坂にある山脇学園卒業後、グラビアモデルをやっていたそう。村上麗奈は1988年にAV女優デビューすると、お嬢様風な雰囲気とナイスボディで人気が爆発しました。
村上麗奈がAV女優をやっていたのは同年の1年だけですが、34本の作品を発表し、東映映画にも出演。人気絶頂の最中にAV引退した村上麗奈は、この後、浅草ロック座専属のストリッパーに転身しました。
1991年から93年にかけては、ストリップの巡業の他にも、香港映画や地上波のテレビドラマにも出演。元人気AV女優、村上麗奈は今も健在と、女優業でその存在を示しました。
後に村上麗奈は週刊誌で、ブルネイ皇太子来日時、数百万円で夜の接待役に指名された事を告白。何かとお騒がせの村上麗奈でしたが、ファンの一般男性と結婚後はストリッパーも引退しました。
村上麗奈は2020年9月現在、主婦兼スキンケアを扱う高級ブランド、Rubycell正規取扱代理店代表。Facebook、Twitter等SNSで、村上麗奈本人が商品を積極的に紹介しています。
オススメ作品は『ウォンテッド 5 肉欲発電所』『女王 村上麗奈』です。
秋元ともみ(秋元 知美秋元 とも美)
1967年生まれの秋元ともみは、高校在学中に原宿でスカウトされファッションモデルになりました。1986年、秋元ともみは「ビデオクィーンコンテスト」で審査員特別賞を受賞後、AV女優デビュー。
秋元ともみの初期3作は、ソフトな内容ながら少女性を打ちだし大ヒット、一躍人気者にになりました。AV誌「オレンジ通信」で新人の秋元ともみは、人気の小林ひとみらをおさえ、読者人気投票で1位獲得。
秋元ともみは、男性雑誌のグラビアや表紙を数多く飾り、更には東映映画にも出演する人気ぶりでした。そんな秋元ともみは1987年、地上波テレビの人気の深夜番組「オールナイトフジ」のレギュラーに抜擢。
歌手デビューもし、学園祭にも数多く呼ばれるた秋元ともみの芸能活動は、順風満帆に見えました。1988年、所属事務所が労基法違反容疑で摘発、秋元ともみの低賃金と過重労働がニュースになりました。
結果、所属事務所は解散し秋元ともみの芸能界での活動は閉ざされ、その後はハードなAV女優に転身。ソフトでは人気が爆発でしたが、ハードになったら反響を呼ばず、秋元ともみは1990年に引退しました。
引退後はキャバクラなど経緯、介護士の資格をとったようで、この方面の仕事を今はしているようです。
オススメ作品は「爆乳巨乳美乳20年史 Deluxe 2」「Legend Gold 素肌のビーナス」です。
八神康子
1962年生まれの八神康子は、昼間働きながら定時制高校に通い、卒業後は製本会社に勤めていました。1981年に上京後も普通に働いていたようですが、ビニ本やSM雑誌での撮影の仕事をやりだしています。
紙媒体で人気になった八神康子ですが、1982年には「隣のお姉さん PART1」というビデオ作品を発表。AV女優という言葉もない、裸の動画の仕事はロマンポルノ・ピンク映画しかなかった時代の作品です。
アダルトビデオという業種も確立されていなかった1983年、八神康子の作品は大人気になりました。同年、八神康子は地上波テレビで、ビートたけしが強姦殺人魔の大久保清を演じたドラマにも出演。
被害者女性役を、にっかつロマンポルノの岡本かおり、アイドルの川上麻衣子と共に演じています。当時の八神康子が突出するのは、ビデオ作品を発表し続けながら、地上派テレビに出演し続けた事。
1985年には地上波の連続テレビドラマ「毎度おさわがせします」で、女教師役でレギュラーでした。そんな人気の八神康子でしたが、1990年代になるとフェードアウト気味に姿を消してしまいました。
オススメ作品は『八神康子 大全集』です。
朝倉舞
1972年生まれの朝倉舞は、気品を感じさせる高級クラブのホステスのような雰囲気を持っていました。朝倉舞は1992年、葉山レイコや星野ひかるなどが出演した「処女宮」シリーズにて、AV女優デビュー。
デビュー作のキャッチコピーは、「衝撃度は葉山レイコを凌ぎ、過激度は星野ひかるをも超える」でした。色っぽい端正な顔立ちにダイナマイトボディの朝倉舞は、デビューしてすぐ人気AV女優になりました。
そんな朝倉舞でしたが、同じく人気の飯島愛や憂木瞳と異なり、地上波テレビの露出が少なかったです。殆どAV1本で仕事をしていた朝倉舞は、タレントや歌手に転向する事なく、1995年にAVを1度引退。
後に朝倉舞は、500万円の借金返済のためにAVデビューしたと述べており、親公認のAV嬢だったそう。
朝倉舞はAV引退後、吉原の高級ソープランドで働いており、金銭的な事情があったのかもしれません。朝倉舞はその後、1999年にAVに復帰し大反響を呼びましたが、同年9月、正式に引退いたしました。
オススメ作品は『浅倉舞8時間 第2章 【10作品ほぼそのまま収録】』です。
小松美幸・小松みゆき
1971年生まれの小松みゆきは、実践大在学中の1990年、人気男性週刊誌の水着グラビアでデビュー。当時は小松美幸名義でしたが、古風な顔立ちと美乳でグラビア、写真集、イメージビデオで人気爆発。
1992年、4冊めの写真集発表後、小松美幸は女優への転身宣言、同年には映画で準主役を務めました。そんな人気の小松美幸が、アダルトビデオメーカー「宇宙企画」より、AV出演という告知が流れました。
1993年のAV作品「蜜月」と「キスと煙突」での、小松美幸のカラミはハードな内容ではありません。Vシネマ程度のカラミとは言え、当時のNO.1グラビアクイーンが見せた濡れ場は、貴重な作品です。
1994年、小松美幸は小松みゆきに改名、暫くはヌード関係の仕事を続けましたが、徐々に役者に転向。小松みゆきの演技力は業界内で高く評価され、数多くの映画やドラマに出演し現在に至っています。
2009年に小松みゆきは結婚し、2020年9月に49歳での妊娠を発表しております。
オススメ作品は『The Best of No.1 小松美幸 Deluxe』です。
葉山レイコ
1969年生まれの葉山レイコは、現在も女優・歌手・タレントをやっていますが、元々は子役デビュー。子役・アイドル歌手・グラビアの仕事をやっていた葉山レイコの、唯一のAV出演が1988年です。
ロマンポルノ・ピンク映画の衰退とAV・Vシネマの台頭の時代、葉山レイコは一時代を築きました。AV作品は「処女宮 うぶ毛のヴィーナス」1作だけですが、葉山レイコは当時のセクシーアイドルでした。
当時はまだAV女優という概念が確立されていなかったので、「あの!葉山レイコがポルノ出演」。有名芸能人のロマンポルノ出演は頻繁でしたから、マスメディアもファンも、そんな感覚でした。
葉山レイコは1984年、人気の地上波テレビの深夜番組「ギルガメッシュないと」にも出演。「ギルガメッシュないと」は、当時のAV女優、グラビア含むセクシータレントの登竜門でした。
AV経由で、長年に渡りテレビ・映画・Vシネマで女優、歌手を続けているのは葉山レイコ唯一人です。
オススメ作品は『処女宮 うぶ毛のヴィーナス 葉山レイコ』です。
白石ひとみ
1971年生まれの白石ひとみは、AVどころか芸能界にも興味のない、地味な学生生活を送っていたそう。白石ひとみは街でスカウトされ、遊び半分に事務所について行き、そこでAVを観せられたそうです。
そこに出演していたのが、白石ひとみの高校の先輩で、校内で有名な美少女だった星野ひかる。白石ひとみは、美人の先輩の星野ひかるのいる世界なら、やってみてもいいかもと心変わりしたそうです。
清楚な雰囲気ある美人の白石ひとみですから、1990年にAV女優デビュー後はすぐに人気がブレイク。白石ひとみ出演のAVが雑誌の宣伝記事に出たことで親にバレて、一度はAV女優を辞めさせられました。
親に怒られたから辞めたでは、あまりに情けないと思い、白石ひとみは親を説得し1年後にAVに復帰。1991年から引退した1994年まで、白石ひとみは飯島愛、憂木瞳、朝倉舞と共に一時代を築きました。
白石ひとみはAVに限らず、写真集やテレビドラマ、映画、Vシネマと大活躍しましたが、芸能活動も引退。引退した理由は、AV女優に対する芸能界の偏見、色眼鏡に嫌気がさしたからだそうです。
オススメ作品は『白石ひとみ4時間』です。
豊丸(甲斐えりか)
1967年生まれの(1965年説あり)豊丸は、1988年にAV女優デビューしています。1988年から89年にかけての豊丸人気の理由は、淫乱が代名詞になった過激なプレイでした。
既に早見瞳やイブのような、アイドル人気のAV女優はおりましたが、淫乱人気は豊丸が初。豊丸は、白目をむき「イグーッ!」の絶唱、フィストファックなどの過激なプレイで有名でした。
人気の豊丸は、地上波テレビの深夜番組にも出演、雑誌取材ではプライベートの夜事情も告白。男性と目が合うだけで濡れる、AV作品の撮影で何度も絶頂を迎えているのに自宅でもオナニーをする。
男性経験は1,000人に上る、一度に12人もの男性とセックスした等、淫乱は演技ではないと煽りました。豊丸はAV女優のプロ意識が高かったのでしょう、実際は礼儀正しい気配りのできる女性だったそう。
人気のピーク時にはサザン・オールスターズのPVに出演するほど、豊丸の人気は爆発していました。AV引退後はストリッパーに転身、その後は六本木でバーを経営、常連のお客さんと結婚したそうです。
オススメ作品は『スーパーハード宣言5 豊丸』です。
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