一説には3,000人、また一説には20万人いると言われるほど、AV女優はその実数が、はっきりと把握されてない職業です。
デビュー作は大々的でも、引退作があるのは一部の人気女優だけで、ほとんどのAV女優は、何の告知もなく数年で姿を消す、かなり入れ替わりの激しい、厳しい世界です。
その厳しい世界でも人気になり、ヒット作品を連発、端から見ると稼ぎも良いように見える有名AV女優。
されど、女性が裸になって、大勢のスタッフに囲まれ性行為を見せ撮影させる職業ゆえ、心の中では闇を抱えてる女性も多々いるようで、若くして死んでいく有名AV女優も、残念ながら存在します。
その中でも「怪死」と括られる女性たちの最期を、検証したいと思います。
飯島愛
飯島愛は、1972年10月31日、東京生まれ。
高校中退し六本木でホステスとして働いていた18歳の時、スカウトされAVの世界に足を踏み入れる。飯島愛がAV女優になった動機は、ニューヨークに旅をし、そこに住むことに憧れるようになったので、そのために、まとまった資金がいる。
もうひとつは毛皮や宝石代、クラブの客が踏み倒した売り掛けの負担金など、借金が数百万円あったからだそう。
飯島愛はAV女優としてデビュー後、各界で瞬く間に注目され人気者になり、1992年から深夜番組なれど地上波のテレビ東京系列「ギルガメッシュないと」に、レギュラー出演。
Tバックの女王と呼ばれ、人気が爆発。
順風満帆の飯島愛は、AV女優を引退後、ごく自然にタレントして、お茶の間で人気者になりました。
飯島愛が異色だったのは、男だけでなく、元AV女優を隠すことなくタレント活動をしていても、若い女性達、特にコギャルに、そのルックス、ファッション、雰囲気が熱く支持された事でした。
また、2000年11月に発行され、映画化やドラマ化もされたベストセラー「プラトニック・セックス」(小学館)では、AV出演や性感染症、整形手術をしていたことをカミングアウト。
これが若い女性たちに、また好意的な反響を呼び、飯島愛は人気絶頂になります。が、突然2007年3月、芸能界引退を表明。飯島愛の情報は、自身のブログのみになりますが、そのブログで2008年2月24日、自身が軽いノイローゼ、精神疾病で、抗うつ剤処方を受けていると投稿。
そして同年12月24日、飯島愛が東京都渋谷の自室で亡くなっているのを、親戚の女性が発見。遺体が腐乱していたため、発見した時は死後1週間ほど経過していたことが、その後の操作で判明。
室内からは、医師から処方された睡眠導入剤のハルシオンなどが見つかりましたが、腎臓病(腎盂炎)であることも判明。飯島愛の、36歳という若さでのこの孤独死は、社会に衝撃を与えました。
林由美香
林 由美香は、1970年6月27日、東京生まれ。
ラーメンチェーン「野方ホープ」を運営する母親の元、林由美香は1989年、本名の小栗由美香名義でデビュー。AV女優として400本、ピンク映画では200本以上に出演。
林由美香は1990年代、ピンク大賞女優賞も2度受賞。日本を代表する人気!AV女優、ピンク女優でした。
その人気ぶりは、1999年10月21日、NHKのテレビドラマ「日曜日は終わらない」に、準主役として出演してた経歴でも、わかります。更に林由美香は、平野勝之、カンパニー松尾といったAV監督とも、公私にわたって深い関係をもっていたことでも知られ、林由美香は一時期、AV業界の「ミューズ(女神)」のような存在でした。
が、そんな林由美香が2005年6月28日、自宅で死亡してるのが発見。警察発表によれば、死亡推定時刻は誕生日1日前の6月26日22時。死因は事件性・事故性のない自然死。
一部報道では、自殺説や薬と酒による窒息死説が流されましたが、詳細な死因は未公表でした。そんな人気者だった林由美香死亡時は、テレビ朝日の「報道ステーション」での、亡くなられた著名人を追悼する「さよなら…」でも、放送されたほど、一般的にも人気の高いAV女優でした。
林由美香の仕事仲間で恋人でもあった平野勝之が、彼女を失ったことで絶望の淵に立たされ、そこから再生するまでを描いたドキュメンタリー映画、『監督失格』が、2011年に公開されてます。
可愛かずみ
#NowPIaying 春感ムスメ / 可愛かずみ pic.twitter.com/HbkE8zE7eB
— まちろさん (@ep80idol) August 20, 2018
可愛かずみは、東京都出身、1964年7月9日生まれ。
若き可愛かずみは、芸能界にさほど興味もなく、美容師志望だったそうですが、その頃にスカウトされモデルクラブに登録。
1982年、22歳の時に、日活ロマンポルノで芸能界入り。
可愛かずみのロマンポルノ映画出演は、この1作のみでしたが、抜群のルックスとスタイルで各界から注目を浴び、地上波テレビはもとより、グラビア、CM、ラジオ、映画と人気は瞬く間にブレイク。
歌手としても、1984年にCDデビュー。
ダウンタウンの松本人志、とんねるずの石橋貴明、高嶋政宏などが、当時、可愛かずみのファンだったとテレビで公表してます。
そんな人気絶頂だった可愛かずみに1995年、当時ヤクルトに在籍していたプロ野球選手、川崎憲次郎との交際が発覚。
もともと、川崎憲次郎が6歳年上の可愛かずみのファンだったこともあり、交際も認めていたので、結婚間近と噂されました。
が、この当時の川崎憲次郎は、怪我で不振に喘いでおり、自身のプロ野球生活で、最も厳しい時期でした。
結局、二人の関係は「怪我の治療に専念したい」という、川崎憲次郎の都合で破局。
更に1996年3月、可愛かずみは、志村けんとのツーショット写真を週刊誌に撮られ、この時期から過度の精神的ストレスに陥ります。
可愛かずみは1996年12月、1997年1月と、リストカットの自殺未遂を繰り返し、人気のピークは過ぎていたとはいえ、この事件は大きくニュースで取り上げられ、ファンを心配させました。
更に同年5月9日、3度目のリストカットの自殺を図ります。
が、縫合後、食事も全て食べ、周囲の者には落ち着きを取り戻したかのように見えた可愛かずみでしたが、同日午後7時、川崎憲次郎が住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降り自殺。
享年32歳。
亡くなった翌日、可愛かずみは都内の自動車販売会社を経営する実業家と正式に婚約し、2ヵ月後に結婚する予定であったことが判明しており、当時の可愛かずみの「女心」は、今も謎のままです。
苺みるく
AV女優の苺みるくって自殺してたの、今日初めて知った…マジか、初めて買ったエロビがこの人だったのに… pic.twitter.com/apOir3jDTv
— 喪中 (@mo_chu001) August 26, 2018
キャバ嬢だった苺みるくは、スカウトされ2000年12月25日、AV女優デビュー。
芸名の由来は、かき氷のシロップだそうです。
そして苺みるくは、いきなり2001年のAdult Video GRANDPRIXで、最優秀女優賞を獲得。
同時期、蒼井そら、及川奈央、長瀬愛などと並ぶ、AV女優の人気者になった苺みるくでしたが、2005年7月13日、睡眠薬を20錠ほど飲んだあと、千葉の自宅で、剃刀によるリストカット。
遺書には「すべて吉武真太郎さんのせいです」とあり、同月発売の雑誌「FLASH」にて手記、「私を弄んだソフトバンク吉武投手を許さない!」が掲載。
記事の扉には、苺みるくが剃刀で手首を切った跡が生々しい、ショッキングな写真がアップされており、当時は物議を醸しました。
苺みるくは、「FLASH」取材後に自殺を図ってますから、吉武真太郎への当てつけに他ならないでしょう。
一命をとりとめた苺みるくでしたが、今度は「FLASH」発売後、自殺予告をし失踪(富士吉田市内で保護)。
苺みるくはその手記で、妻帯者の吉武真太郎との関係を赤裸々に語っているので、掲載した「FLASH」が吉武真太郎に直撃すると、苺みるくとは知り合いだけど、肉体関係はない。
「いろんな選手と友達みたいなんで」と、吉武慎太郎は弁明。
2019年現在、読売ジャイアンツでスカウトをやってる吉武慎太郎の、現役時代のピークはこの時期で、3年後の2008年には、現役を引退してます。
一方、苺みるくのAV女優としての仕事も2009年で途切れ、精神的に不安定ながら(鬱病)その後は、渋谷のデリヘル、吉原のソープで風俗嬢をやっていたようですが、2012年10月、東京・中野の自宅で自殺。
享年31歳。
苺みるくの自殺は、死後3週間経ってから、「週刊新潮」によって報じられました。
AYA(牧野田彩) 元小室ファミリーのセクシー女優
出典:デビューから生中出しにアナルまで!最強の芸能人AYAの全作品濃い目の8時間BOX
AYA(牧野田彩)は、1980年2月17日、大阪府生まれ。
牧野田(AYA)彩は元々小室ファミリーの芸能人なんよー。あと嵐を食った女としても有名なんよー。
AYAは、地上波のテレビ東京、ASAYANの「コムロギャルソン」から生まれた、久保こーじプロデュースによる女性歌手グループ「L☆IS」のメンバーとして1996年、16歳でデビュー。
L☆ISは「ロリータ・チーム」「アダルト・チーム」「ダンサー・チーム」の3チーム15名で、構成されておりました。
しかし、AYA所属の10代のロリータ・チームが、挨拶がない、やる気がないと久保を怒らせた為、グループは即解散。
AYAはそれ以降、タレントやレースクイーンとして活動。2008年、18歳になった時、ヌード写真集発売。そして2009年5月にAVデビュー。
しかし、翌2010年10月23日、渋谷区恵比寿の自宅マンションから飛び降り自殺。享年30歳。
AYAの自殺後、2010年11月11日号の「週刊文春」で、ジャニーズの嵐の、それぞれのメンバーとの2ショット写真とともに(大野智との2ショットは、キスしている写真)、AYAのコメントが掲載。
『マンションから飛び降りて死んだ 「嵐」を食った女の告白』には、AYAが桜井翔以外、嵐の4人と関係を持っていたという、生々しいコメントは当時、世間を大騒ぎさせました。
また、それ以前の2008年8月の「週刊現代」に、嵐の大野智が大麻を吸いながら乱交していたのではないかという、疑惑の写真が掲載。
騒動が起きた時、その写真は、AYAの持っていた写真が出所なのではないかと言われています。
このことでAYAは、事務所やファンの恨みを自分は買っているという、強い猜疑心を抱くようになったようで、死の前、麻布署と渋谷署に駆け込み、相談していたという報道もありました。
そして2010年10月23日、「死んでやる!」「助けて!」と錯乱状態にあったAYAは、自宅の部屋に鍵をかけ籠城。
AYAが転落したとき鳴り響いていた警報音は、部屋に備え付けられていた非常ボタンが押されたためだったので、部屋に誰か別の人間がいたのではないか?と噂されてますが、警察発表にそれはないようです。
音が鳴り始め10分ほどで、パトカーと救急車がマンションに到着。AYAはこの時、ベランダの手すりにぶら下がっていたという目撃証言もあるそうですが、そのまま転落。
当局は、自殺と断定しているようです。
AYA(牧野田彩)の人気AV作品
麻生美由樹
麻生美由樹は、1986年1月28日、東京生まれ。学習院女子を中退後、舞台女優、グラビアアイドルとして活動後、2008年2月、22歳でAV女優デビュー。
3ヶ月で4作品発表後、同年4月18日、東池袋の自宅で硫化水素で自殺を図り、急逝。
麻生美由樹の自殺に至るまでの経緯は、本名でのAVデビューの際、話題作りのためだったのでしょうか?、週刊誌などで「50人以上のお笑い芸人とセックスした」と暴露。
実名でマギー審司、Take2の東貴博らとの関係を語ってます。
ところが、この行為が掲示板で猛烈なバッシングを呼び、自身のブログの掲示板は、誹謗中傷の書き込みの大炎上。更に、キングコングの西野亮廣も自身のブログで、
「『50人以上の芸人とヤッた』と言って、ツーショット写真やメールのやりとりを公開していた女が非常にムカつくということです」
「暴露本なんかを出すクソ野郎と同じ理由であの女が嫌いです。人の不幸で飯を食う人間にだけはなりたくないです」
と、名前は出さないまでも、明らかに麻生美由樹を批判してる文面を投稿。
こうして世間から、猛烈なバッシングを浴び、心を病んだ彼女は、
実際に、08年4月18日、硫化水素で命を絶っています。享年22歳でした。
麻生美由樹も話題作りのため、肉体関係のあったお笑い芸人をダシにした商法は、間違っていたと思われますが、これは「ネットいじめ」の構図が引き起こした、極めて残酷な事件でした。
倉沢七海
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倉沢七海は、1976年6月5日、東京生まれ。
1996年、20歳の時にAV女優デビューした倉沢七海が、2004年、28歳で自殺した理由は、同棲していた恋人Mとの結婚話が破談となったのが、原因と言われております。
倉沢七海の自殺を一面で報じた「東京スポーツ」によると、その1週間前には、Mとの喧嘩で手首を切る自殺未遂を起こしていたそうで、死ぬ当日には、Mに死をニオわす電話をしていたとも。
何故?この段階で、Mは自殺を止められなかったのか?
おそらく、立ち入ったプライベートなことなので、所属事務所も友人知人も、二人の関係がそういうことになってるのは、わからなかったでしょう。
でも、Mだけは倉沢七海が死ぬ気だったのは、わかってたのだから、何か止める手立ては考えられた筈。
ちなみに「東京スポーツ」では、倉沢七海の結婚破談の原因は、Mの借金が原因としています。
美咲沙耶
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— 美谷朱里ちゃん推し! (@LoveAVjoyu) February 21, 2019
美咲沙耶は、1985年9月17日、北海道生まれ。2005年にAV女優デビュー。さまざまな企画作品に出演するようになり、人気は急上昇。
が、2007年7月6日未明、代々木の自宅マンションにて首吊り自殺。享年21歳。第一発見者は、北海道から上京の母親だそう。
遺書もなかったようですし(あったとしても非公開?)、自殺の理由は、今も判明していないようです。また、現在も美咲沙のブログはネット上に残っており、自殺3日前の最後の投稿は、以下の通りです。
「ご無沙汰しております。心配ばっかかける奴でごめんね。最近トリプルくらいで悩みすぎてて、blog更新する元気がなかったのよ。暗いblogは嫌だからさ。とりあえず言いたいことは、私は友人に恵まれたということ。応援してくださる方々もみな優しい方ばかり。この事を忘れちゃいかん、そして感謝しなければいかん、ということです。みんなありがとう。神様ありがとう。明日は元気が出そう!」
美咲沙耶の人気セクシー写真
桃井望
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— さる足腰ガタひこ (@sarugata1984) January 12, 2019
桃井望は、1978年9月23日、東京生まれ。
2001年にAV女優デビュー、2002年、同じくロリ系のAV女優の長瀬愛、堤さやか、樹若菜とアイドルユニット「MINX」を結成。
桃井望は、同年10月に死亡するまでの短い活動期間で、出演作品は150本、或いは200本以上と伝わっており、この異常な酷使ぶりが、誰かに無理やり稼がされていたのではないか?と、疑惑を持たれてます。
そんな桃井望が、長野県塩尻市の河川敷で焼死体で発見されたのが、2002年10月12日。
車内から男性の死体とともに発見。享年24歳。
警察の検証では、双方の身体に複数の刺傷があることから、無理心中と他殺、二つの線で捜査が進められ、警察は男性が桃井さんを殺害後、焼身自殺を図った無理心中と断定。
が、しかし、男性の遺族が保険金の支払いを求めた民事訴訟により、2007年1月23日、長野地方裁判所飯田支部は、「周囲の状況から見て、複数犯であれば殺害可能であり、第三者による他殺」と認定。
死後5年を経て、裁判所は他殺と認定。死亡保険金の支払いを拒否していた保険会社に、支払いを命じる判決を下してます。
刑事と民事の判断が異なることは、レアなケースであると思いますが、殺人事件では珍しいのではないでしょうか。
長野県警は無理心中の断定をした以上、捜査本部をもう一度設置するようなことはしないので、この事件の真相は、今も闇の中です。
また、「新潮45」、2003年1月号・2月号に掲載された『人気AV女優心中怪死ミステリー』には、男性に暴力団とつながっている疑惑、借金があった事実が明かされています。
里中まりあ
里中まりあは、1977年12月15日。東大阪市生まれ。里中まりあは中学卒業後、トリマーの専門学校へ入学するも、半年と持たず中退。
フリーターとなり、大阪ミナミの繁華街などで遊び回るうち、ホスト遊びを覚え、年齢を誤魔化して17歳で風俗店勤務。
その後ストリッパーから、1997年にAV女優に転向するも、3本の作品を残し1998年には仕事を休止。
同年3月22日夜、大阪市天王寺区のホテル「ニューヨーク」の客室で、里中まりあの射殺体が発見。
彼女は顔の正面から1発撃たれており、現場に残されていたのは短銃1丁と薬きょう1個。
里中まりあは暴力団関係者と交際していると伝わっており、事件の3日前に自宅マンションで暴行を受け、車で連れ去られていたことも判明。
同年4月17日、大阪府警天王寺署捜査本部は、里中まりあの交際相手の暴力団組員を容疑者と断定。大阪府堺市内のホテルに潜んでいるところを発見、逮捕。
調べに対し、この暴力団組員は事件の関与は認めたものの、殺意のない拳銃暴発を主張。最高裁まで争われるも、いずれも棄却。殺人、銃刀法違反、覚せい剤取締法違反 で懲役17年で結審。
里中まりあもこの暴力団組員とともに、覚醒剤を使用してたと伝わっておりますが、逮捕もされてませんし、事情聴取もされてませんし、何より射殺されてしまってるので、真相は闇の中です。里中まりあ、享年22歳。
以上、AV女優の末路でした。
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