「ギルガメッシュないと」は、テレビ東京系列局で、1991年〜1998年に放送されていたお色気番組。
多くの人気タレントはじめ、AV女優、グラビアアイドル・モデルが出演していました。
今回は伝説的深夜番組「ギルガメッシュナイト」に出演していたAV女優について紹介します。
飯島愛
出典:女尻 飯島愛
その「ギルガメッシュないと」に1992年より出演、Tバック姿で大ブレイクしたのが飯島愛でした。
飯島愛は、六本木でホステスをやっていた時にスカウトされ、1992年にAV女優デビュー。
「ギルガメッシュないと」が、静かに視聴率が上がってきた時期と、飯島愛のデビューはリンクしてます。
Tバックの女王として人気がブレイクした飯島愛は、細川ふみえ降板後、番組の司会者の一人に抜擢。
一般的な認知度も高まり、タレントの仕事が増えた飯島愛は、1994年頃、AVを引退してしまいました。
飯島愛はその後、地上波テレビのゴールデンタイムにも登場、一般的にも認知され人気も更に爆発。
元AV女優の飯島愛は長きに渡り、タレント、歌手、女優、文筆業と多才で幅広い活躍をしていました。
そんな人気絶頂だった飯島愛が2007年、体調不良と気力の衰えを理由に、突然芸能界引退を表明。
2008年12月24日、飯島愛が自室で死亡しているのを親戚の女性が発見、死因は肺炎でした。
瞳リョウ
出典:四六時中、娘婿のデカチ○ポが欲しくて堪らない義母の誘い 瞳リョウ
瞳リョウは、美容業界、ホステスを経由し1996年にAV女優デビュー。
つぶらな瞳とEカップ87cmの美乳・巨乳がすぐに話題になり、瞳リョウの人気はブレイクしました。
人気番組の「ギルガメッシュないと」には、ランジェリーファッションショーに瞳リョウは登場。
セクシーな衣装で歌う瞳リョウは、歌唱後のSEXYアピールタイムで、おっぱいも披露していました。
そんな瞳リョウはAV作品を発表しながら、地上波の人気テレビ番組にも出演、自伝本やCDも発表。
AVクィーンとして人気絶頂だった瞳リョウでしたが、突如2001年にAV引退してしまいました。
引退理由は恋人との結婚だったそうですが、破局してしまい、2020年3月現在も瞳リョウは独身です。
結婚引退がかなわなかった瞳リョウは、その後ホステス含め、様々な仕事をやられていたそう。
AVで熟女モノの人気が確立された2009年頃から、そんな瞳リョウにAV復帰の打診があったそうです。
瞳リョウは説得され12年ぶり、2013年にAV復帰し、以降は人妻・熟女モノで再び注目を集めています。
葉山レイコ
葉山レイコは、1994〜1995年の「ギルガメッシュないと」レギュラー出演時、もう有名人でした。
既に歌手・タレントとして活動していた葉山レイコは、雑誌でヌードグラビアやイメージビデオを披露。
そんな葉山レイコの当時の活動は、セクシーアイドルの先駆けだったと言えます。
女優としても葉山レイコは、既に地上波のテレビドラマやVシネマにも出演。
1988年には、唯一のAV作品「処女宮 うぶ毛のヴィーナス」を発表し、大きな話題になりました。
そんな経緯で「ギルガメッシュないと」出演時の葉山レイコは、細川ふみえと並ぶ著名なタレントでした。
「ギルガメッシュないと」以降も、葉山レイコは地上波のテレビドラマや映画にも、引き続き出演。
2014年、6歳年下の一般男性と結婚後も、葉山レイコは芸能活動を継続しています。
桜樹ルイ
モデル事務所に所属し芸能活動をしていた桜樹ルイは、1989年にAV女優デビュー。
当時としては珍しかった、アイドルのように可愛い桜樹ルイは、すぐに話題になりました。
1991年の「ギルガメッシュないと」放映開始頃、桜樹ルイの人気は頂点を極めていました。
全国のサイン会は超満員、各地の学園祭にも招かれ、桜樹ルイは元祖AVクィーンとして君臨。
中央大でのトークショーの模様は、地上波テレビ「プレステージ」で放送されたほどでした。
「ギルガメッシュないと」で桜樹ルイは、ギルガメ写真館などに出演。
AV以外の芸能界の仕事が増えた桜樹ルイはAVを引退、タレント・女優中心の活動に入りました。
そんな桜樹ルイでしたが、プライベートの結婚離婚含め、芸能活動も自ら行き詰まりを感じ頓挫。
桜樹ルイはストリッパーとして浅草ロック座よりデビュー、1996年には短期間だけAVにも復帰しました。
AVデビューから11年、2000年のストリップ引退を最後に、桜樹ルイは全ての活動を終了させています。
憂木瞳
憂木瞳は美容専門学校生の1992年、新宿でスカウトされAV女優デビューしました。
1993年より、憂木瞳は「ギルガメッシュないと」にレギュラー出演。
憂木瞳の裸エプロン姿は、飯島愛のTバック姿と並び番組の名物になり、共に人気がブレイクしました。
ところが人気絶頂の最中の1994年4月、憂木瞳は番組収録中に急病で病院に担ぎこまれてしまいました。
更に憂木瞳は6月には収録現場に現れない、すっぽかし騒動も起こしてしまい、事務所が急遽引退を発表。
後に憂木瞳は、諸々の精神的ストレスがすっぽかしの理由だったと、インタビューで答えています。
引退後に憂木瞳は、当時の交際相手と結婚、出産してますので、プライベートな事情もあったようです。
そんな憂木瞳でしたが2年後に離婚、「ギルガメッシュないと」に復帰しました。
ストリッパーデビューもしていた憂木瞳は、2002年、憂木ひとみに改名しAVにも復活。
その後、AV引退復帰を繰り返しましたが、石黒樹里に改名後の作品も、2013年を最後に途絶えています。
新堂有望(中谷有希)
新堂有望は、1993年にAV女優デビューしました。
当時は珍しかった美少女アイドル路線で、新堂有望はAV女優として月1本作品を発表。
そんな新堂有望は、「ギルガメッシュないと」のレギュラーになって、人気がブレイクしました。
1995年には地上波テレビのドラマ出演も果たすほど、当時の新堂有望は人気がありました。
タレント活動が忙しかったそんな新堂有望でしたが、AVは1995〜1996年で4本しか発表していません。
公式引退発表はありませんでしたが、新堂有望は1996年頃、AV業界から引退、芸能活動も停止しました。
2006年、2016年に新堂有望はAVに復帰しますが(2度目は中谷有希に改名)、2017年に再び引退。
2020年3月現在、吉原のソープランド「プチロイヤル」の在籍泡姫として、新堂有望は確認できます。
野坂なつみ
野坂なつみは、1989年に村西とおるのダイヤモンド映像から、AV女優デビューしました。
メガネをかけたAV女優として野坂なつみは話題になり、当時の村西とおる軍団の売れっ子女優でした。
「ギルガメッシュないと」では、憂木瞳に先駆け裸エプロン姿を披露。
1993年に番組を卒業するまで、多くのAV作品に出演し、黎明期のAV業界を野坂なつみは支えました。
野坂なつみはその後、当時アイドルだった野村義男のアルバム撮影絡みで出会い、交際を開始。
1995年に野村義男と結婚後、野坂なつみはAVを引退、その後は一切マスメディアに登場していません。
野村義男はギタリスト・アレンジャーに転身、浜崎あゆみの一連のヒット曲を手がけ一世を風靡しました。
矢沢ようこ
矢沢ようこは短大生時代に代々木でスカウトされ、1996年にAV女優デビューしました。
人気の「ギルガメッシュないと」にレギュラー出演してから、一気に矢沢ようこは知名度が上がりました。
1997年には「ギルガメッシュないと」番組内にて、浅草ロック座でストリッパーデビュー。
矢沢ようこは2020年3月現在も、現役ストリッパーですが、デビューは「ギルガメッシュないと」です。
そんな人気絶頂の矢沢ようこでしたが、公式引退声明はありませんが、AV作品は2002年に途切れました。
『AVは単体女優もハードなカラミを求められるようになり、「私には無理」って思って引退しました』
2019年の「週刊ポスト」のインタビューで、矢沢ようこは当時のAV引退理由を、こう述べていました。
朝岡実嶺
朝岡実嶺はスカウトされ1990年、ヌード写真集発表。
1991年、正統派現役女子大生・美少女としてAV女優デビュー、すぐ人気に火がつきました。
まだ番組スタート当時の「ギルガメッシュないと」の、温泉地めぐりに朝岡実嶺はゲスト出演。
朝岡実嶺は、他にVシネマの「平成女学院」シリーズで、人気の飯島愛、桜樹ルイ、白石ひとみと共演。
AV黎明期、朝岡実嶺は一時代を築いた、正に人気女優でした。
1993年、朝岡実嶺は地上波テレビドラマ「高校教師」に出演、女優デビューすると、同年AV女優を引退。
引退後も、過去のAV作品はオムニバスとして毎年のように発売されるほど、AV引退は惜しまれました。
そんな朝岡実嶺は、AV引退後も順調にテレビドラマ・映画・CM・舞台と活躍、現在に至っています。
麻宮淳子(成合淳)
麻宮淳子は福島県在住の、高校2年の頃から水着のモデルの仕事を始めました。
高校卒業後には上京し、麻宮淳子はヘアメイク専門学校に通いながらモデル業も継続しました。
1993年、仕事が忙しくなり専門学校中退後、成合淳名義で「週刊プレイボーイ」でグラビアデビュー。
17歳で初ヌードを披露後、1994年にAVデビューしました。
番組がブレイクしだしたこの時期の「ギルガメッシュないと」で、麻宮淳子は着物姿から下着姿を披露。
他の地上波の深夜番組「Mars TV」でも、1994年に麻宮淳子はストリップを披露し、注目されました。
麻宮淳子は2002年にAV引退後、しばらくAVメーカー「MOODYZ」の広報部に勤務していました。
結婚後退社してからは、麻宮淳子の情報は自身のSNSでの発信もなく、復帰情報もなく途絶えています。
城麻美
出典:恋に抱かれて
城麻美は1995年、化粧品や飲料メーカーのCMに出演後、同年4月より「ギルガメッシュないと」に登場。
セクシータレントとしてレギュラー出演した城麻美は、すぐ話題になり注目を集めました。
城麻美は、レギュラーの「ギルガメッシュないと」だけでなく、他の地上波テレビにも出演。
仕事はヌードビデオ、写真集と広がり、同年10月にはAV女優デビューしました。
透明感ある美形AV女優の城麻美の人気は続き、「ギルガメッシュないと」で司会の一人に抜擢。
城麻美は1998年3月の番組終了まで、大原かおり・桜井あゆみと共に司会進行を担当しました。
そんな城麻美でしたが、引退表名はしておりませんが1999年以降、AVもタレント活動も停止。
メディアやファンの前から、完全に姿を消してしまいました。
沢口みき
沢口みきは、AV女優デビュー前の1995年頃より、水着・ヌードモデルとしてデビュー。
地上波テレビにも出演し認知度を高め、イメージビデオも発売され、人気がブレイクしました。
1996年、話題のJカップ101cmの爆乳をひっさげ、沢口みきはAV女優デビュー。
「ギルガメッシュないと」では、当時はかなり過激だったV字マイクロビキニ姿を披露しています。
人気AV女優になった沢口みきでしたが、デビュー半年でAV女優から引退してしまいます。
引退後は吉本興業所属でタレント活動を開始しますが、目立った活動ができず、1997年10月にAV復帰。
沢口みきはAV女優を継続しながら、2010年よりソープ嬢としても働きはじめました。
2020年3月現在、沢口みき自身のTwitterでの、プロフィールでの肩書きは、今もAV女優です。
三枝美憂
三枝美憂は、1996年にロリ系アイドルとしてAV女優デビューしました。
1998年3月まで放映していた「ギルガメッシュないと」で、三枝美憂はギルガメ写真館でヌードを撮影。
1997年には船橋ストリップシアター若松劇場で、三枝美憂はストリッパーとしてもデビューしました。
人気がブレイクした三枝美憂は、AV女優とストリッパーを2006年頃まで兼任していました。
2020年3月現在、三枝美憂が自ら運営してるTwitterの自己紹介文には、「元AV女優」と記されています。
三枝美憂は2006年頃にAVは引退して、それ以降はストリッパーとして活動しているようです。
自身のTwitterで、三枝美憂のストリップ出演興行が確認できます。
氷高小夜
氷高小夜は1993年、「ギルガメッシュないと」が人気になった頃に、AV女優デビューしました。
ショートヘアーでボーイッシュな可愛い氷高小夜は、「ギルガメッシュないと」にレギュラー出演。
番組内で氷高小夜は、野球拳や全裸入浴を披露、お茶の間の男たちに絶賛されました。
1994年には浅草ロック座で、氷高小夜はストリッパーとしてもデビューしました。
そんな人気の氷高小夜でしたが、1995年には早くもAV引退。
その後、氷高小夜は成人向け漫画を原作とした、アダルトアニメの実写版「淫獣学園」に出演。
「ギルガメッシュないと」の仲間の麻宮淳子、西田ももこと共演していました。
オリジナルビデオの「淫獣学園」は3作品作られましたが、その後、氷高小夜の消息は途絶えています。
豊丸
豊丸は最強の淫乱女優として、AV黎明期の1988年にAV女優デビュー、人気になりました。
1990年代の「ギルガメッシュないと」以前より豊丸は、「11PM」「オールナイトフジ」に出演。
地上波テレビ、一般マスメディアに登場するAV女優の、豊丸は先駆けだったと言えます。
豊丸は「ギルガメッシュないと」で裸エプロン等を披露しますが、人気は峠を越していたと言えます。
「ギルガメッシュないと」放映開始頃は、豊丸の出演作は減り、番組全盛期にはAVを引退していました。
豊丸はAV引退後、ストリップ出演や、六本木でバーのママとして活躍後、店の常連サラリーマンと結婚。
全くマスメディアに登場しなくなった豊丸ですが、4人の子供を出産しているそうです。
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